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大内 勇也大学院国際協力研究科 国際協力政策専攻准教授
研究活動情報
■ 論文- 2018年, 国際政治, (192) (192), 33 - 49, 日本語人権条約の形成過程における法律家の政治的影響力[査読有り]研究論文(学術雑誌)
- 2017年, 国際人権 : 国際人権法学会報, 28, 116 - 121, 日本語バンジュール憲章における発展の権利と個人の義務 : サンゴールとムバイエの視点から[査読有り]研究論文(学術雑誌)
- The present article explores the underlying factors that led the governments of the Organization of the American States (OAS) to adopt the American Convention on Human Rights (the convention) in 1969. The convention is the foundation of the inter-American human rights institution, whose functions have been entrusted to the Inter-American Commission on Human Rights (IACHR) and the Inter-American Court of Human Rights.JAPAN ASSOCIATION OF INTERNATIONAL RELATIONS, 2011年, 国際政治, 164(164) (164), 86 - 99, 日本語
Despite its legal and political significance, however, the proposal for an Inter-American convention on human rights did not reap wider support from the beginning. The OAS had respected for national sovereignty, and had opposed a binding agreement on domestic issues such as human rights. This was evident in 1948 when the OAS rejected the Uruguay's proposal for the binding convention and rather opted for the non-binding human rights declaration; the American Declaration of the Rights and Duties of Man.
Given such background the question is, why did then the governments change their positions regarding the convention by 1969? The existing studies on human rights conventions interpret the adoptions as a result of intergovernmental processes. However, the adoption of the American convention cannot be explained solely from an intergovernmental point of view. The present paper focuses on the IACHR established in 1959 which played an essential role stimulating the governments to adopt the convention.
Although at first the IACHR was not authorized for protecting human rights and was regarded as a "study group", it nevertheless gradually widened its functions. It began to receive communications from individuals and conduct investigations. The IACHR started also issuing recommendation to a particular government and publishing country reports. From there on, the IACHR supervision of governments conduct in the area of human rights became a fait accompli. As a result, the exceeding practices of the IACHR raised awareness among the governments regarding the effectiveness of the IACHR and affected the governments' positions on the convention.
The change of the positions of the governments was revealed at the Second Special Inter-American Conference in 1965, when the national representatives agreed about the positive role of the IACHR and express support for its further institutionalization in the area of human rights protection in Americas. The conference was a turning point for the adoption of the convention. While authorizing the IACHR for expanding functions, the governments approved the resolution for concrete step for adopting the convention.[査読有り]研究論文(学術雑誌)
- 2024年, 網谷龍介編『戦後民主主義の革新: 1970~80年代ヨーロッパにおける政治変容の政治史的検討』ナカニシヤ出版欧州議会における党派性の変容と人権規範の発展
- 2024年, 申惠丰編『新国際人権法講座第4巻 国際的メカニズム』信山社米州人権保障制度における人権侵害の処罰規範の発展と「条約適合性統制」
- 2019年, 網谷龍介・上原良子・中田瑞穂編『戦後民主主義の青写真 : ヨーロッパにおける統合とデモクラシー』ナカニシヤ出版, 87 - 113, 日本語国際司法による人権保障というイノヴェーション:欧州人権条約の形成過程に見る戦後欧州人権保障構想の変容
■ 講演・口頭発表等
- The International Studies Association 2026 Convention, Research Workshop, 2026年03月The Inter-judicial Search for a Balance between Justice and Peace: The Reflexive Process of Transitional Justice in Colombia
- 駒場国際政治ワークショップ, 2025年12月国連における人権規範の変容:軍事政権期チリを中心に
- 日本国際政治学会 研究大会, 2024年11月シリア内戦と反不処罰規範の多層的変容
- 日本国際政治学会 研究大会, 2023年11月国連における人権規範の変容―ピノチェト体制下のチリを事例に
- 駒場国際政治ワークショップ, 2022年11月欧州アイデンティティの再検討:1980 年代における党派性の変容と人権規範の発展
- 日本政治学会 研究大会, 2022年10月1980 年代における欧州人権規範の確立:域外人権問題をめぐる欧州議会の議論に着目して
- 日本国際政治学会研究大会, 2020年10月The Operationalization of European Human Rights Norms in the 1960s: The Greek Case in the Council of Europe口頭発表(一般)
- 駒場国際政治ワークショップ, 2018年06月人権条約形成過程における法律家の影響力:規範から制度への政治メカニズム
- 日本政治学会 研究大会, 2017年09月, 日本語, 国内会議欧州人権条約の形成過程に見る戦後欧州人権保障構想の変容口頭発表(一般)
- 日本国際政治学会 研究大会, 2013年10月, 日本語, 国内会議人権条約の形成過程における法律家コミュニティの政治的役割―欧州人権条約を事例として―口頭発表(一般)
- 国際関係論研究会, 2008年06月, 日本語トランスガヴァメンタルなネットワークにおけるNGOの役割―アジア・太平洋国内人権機関フォーラムを事例に
■ 共同研究・競争的資金等の研究課題
- 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 基盤研究(C), 神戸大学, 2026年04月01日 - 2031年03月31日国際的な処罰規範の変容と移行期正義をめぐる政治:チリを事例として
- 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 基盤研究(B), 津田塾大学, 2025年04月 - 2029年03月冷戦末期ヨーロッパにおけるデモクラシー像の変容
- 日本学術振興会, 科学研究費助成事業 若手研究, 若手研究, 早稲田大学, 2021年04月01日 - 2026年03月31日国際人権規範の国内的実行化の政治メカニズム:ピノチェト政権下のチリを事例に本研究は、1973年に誕生したチリの軍事独裁政権による人権問題を取り上げ、国際社会の早い非難と実際の人権状況改善までの「時差」に着目し、その要因解明を目的としている。 一年目は、「時差」の要因の一つとして、当時、国際人権規範がまだ確立しておらず発展途上過程にあったことを検証した。この点を解明するため、チリの人権問題をめぐる国連での言説変化の分析に取り組んだ。この分析作業により明らかになったことは、当初、チリの状況に対する認識枠組みは多様であり、人権問題という共通理解に収斂していなかったことである。さらに、国連における議論が人権問題に収束していく過程では、同時期に発効した自由権規約の基準が適用されていたことが明らかになり、国際人権規範の発展と連動してチリの人権侵害に対する問題枠組みが確立していったことが確認された。 この発見の意義は、既存の国際政治研究が当時の国際人権規範を確立したものと仮定し、チリの事例を人権保障をめぐる国際政治の典型的な成功例としてきたことの再考を促す点にある。本分析により、当時の国際人権規範は十分に確立しておらず、国ごとあるいは国際機関ごとに異なる問題認識が、国連での議論を通して人権問題として収斂していったことが示された。 また本分析の重要性は、上記の国際人権規範の変動過程で何が起きていたのかを実証的に示した点にある。歴史研究では、1970年代は国際人権規範が広範に受容された時期とされているが、その主な分析対象は人権NGOなどの社会運動であった。その際、国家は人権問題に消極的な主体と見做されたが、実際の国家の姿勢が国際社会全体としてはどのような状況だったかは十分に検証されてこなかった。この分析により、国家間における人権問題の位置付けの変遷がより明確に理解できるようになった。
- 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 特別研究員奨励費, 神戸大学, 2023年03月 - 2025年03月人権規範退行と回帰の政治メカニズム:チリのピノチェト体制を事例に本年度は特に社会的な人権規範の回帰メカニズムの解明のために主に文献調査を行った。そして、人権問題枠組みの再構築による人権運動の形成と人権規範回帰のメカニズムについて、比較政治学や社会学の知見に基づき分析枠組みを構築した。 権威主義体制下の人権抑圧により社会が断片化し「恐怖」が共有された状況において人権規範の回帰要因となるのは、人々の再組織化とそこで共有できる人権問題枠組みの再構築による、大規模人権運動の形成だと考えられる。人々の再組織化は国外支援により存続できる国内主体が担い、またその主体を通して国際人権が再び国内社会にもたらされる。さらに、人々が広く共有している社会的窮状を人権侵害として認識させる人権問題の枠組み再構築により、政府に対する人権の要求を再生させる。このような、人々の再組織化と共通の人権問題枠組みの再構築により広範な人権運動が形成され、社会的な人権規範回帰を促すと考えらえる。 実証作業ではチリのピノチェト独裁政権下における人権運動の形成過程の分析を行った。そして人権NGOが国際社会からの支援を得て、人々の再組織化と人権アイディアの再構築を行ったことが確認された。人権NGOは主要な弾圧対象であった貧困地域を中心に支援活動し、住民の再組織化と貧困層のニーズに対応する経済・社会的権利を中心とする人権問題枠組みの再構築を進めた。さらに1982年の経済危機により、それまで人権侵害の対象とならず軍事政権を支持していた中間層も、経済・社会的権利の剥奪状態という認識枠組みを受容し反体制運動が拡大したことが示された。 これらの発見は既存研究が特定の人権に絞って人権運動形成や規範変動を説明してきたのに対して、人権運動の形成過程において他の種類の人権が取り込まれ、人権問題の枠組み自体が再構築されることで動員が拡大する場合を示す点で意義がある。
- 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 特別研究員奨励費, 神戸大学, 2019年04月25日 - 2022年03月31日人権規範の退行と回帰のメカニズムーチリのピノチェト体制を事例に
- 日本学術振興会, 科学研究費助成事業 基盤研究(B), 基盤研究(B), 津田塾大学, 2018年04月01日 - 2022年03月31日1970年代ヨーロッパにおける民主主義の「リベラル」化:個人化・権利化・司法化?本年度は,各分担者の勤務校での校務負担が大きく,加えてオンライン授業化のための追加的負担もあったため,9月以降にグループとしての会合を再開した.研究会では,分担者の大内がギリシアの軍事クーデターへの対抗の中で,ヨーロッパレヴェルでの「人権」のディスコースが用いられるようになった経緯についての報告と検討を行い,同報告は日本国際政治学会で報告された.また1968年をめぐる近時の研究動向について,代表者が書評的報告を行い,研究動向についての情報共有と今後の方向性についての調整を行い,2021年度に実施する研究会において,各分担者が担当部分についての報告を順次行うこととした. 研究会とは別に各分担者は担当する研究トピックに関連する研究を個別に進めており,「人権」「民主主義」「法の支配」といったトピックについて,その歴史性を踏まえながら現在の状況と関連させて議論する論稿を個々に発表している.分担者の中田は二回の学会報告を行い,現在の中東欧における「民主主義」「法の支配」をめぐる問題を,歴史的含意を踏まえつつ検討した. 分担者の板橋,八十田は,EU政治をめぐる教科書を執筆し,板橋はドイツ統一をめぐる概説書を翻訳した.これらを通じて本研究のいわば「終着点」となるであろう1980年代末の変動につながる見通しを検討した.代表者は,ドイツの戦後体制に関するモノグラフを単行書の形で発表し,本研究の取りまとめと関連する戦後体制の推移についての見通しを得たほか,共編著の中で,官僚制や裁判所といった,一定の自律性を必要とする統治機構と民主政を両立するための制度設計とその論点について検討を行った.
