SEARCH
検索詳細
原口 剛大学院人文学研究科 社会動態専攻准教授
研究活動情報
■ 論文- 2021年, 思想, (1162) (1162)ロジスティクスによる空間の生産――インフラストラクチャー、労働、対抗ロジスティクス
- 2020年08月, 福音と世界, 75(8) (8), 18 - 23そのインフラはほんとうに必要なのか ――ジェントリフィケーションと「都市空間の軍事化」をめぐって
- 2020年05月, 支援, (10) (10)波止場の「荷抜き」と寄せ場の「キセル」
- 2019年10月, 建築雑誌, 2019年(10月) (10月), 17 - 17ジェントリフィケーションの暴力を直視せよ
- 2019年03月, 空間・社会・地理思想, (22) (22), 157 - 161プラネタリー・ジェントリフィケーションについてのノート
- 2019年03月, 東京外国語大学国際日本学研究報告, (6) (6), 75 - 78都市空間の略奪をめぐる抗争――大阪のケース・スタディ
- 2018年03月, 『空間・社会・地理思想』, 日本語「解題 プラネタリー・アーバニゼーションをめぐって」研究論文(大学,研究機関等紀要)
- 社会理論・動態研究所, 2018年02月, 『理論と動態』, (第10号) (第10号), 104 - 113, 日本語「労働者の像から都市の記述へ――酒井隆史氏の書評への応答,白波瀬達也「貧困と地域」への問い」研究論文(大学,研究機関等紀要)
- Kamagasaki, located in Nishinari Ward, Osaka city, is a daily-hire laborer's concentration area, and is the space where poverty and discrimination converge. Kamagasaki, as a supply ground of the daily-hire labor force (Yoseba), was 'produced' between the 1960s and the early 1970s when policies for Kamagasaki (Airin) were developed in order to cope with a series of protests by the day laborers following the "first riot" in August 1961. This paper employs discourse analysis based on the concept of the construction of place and institutional practice and examines the construction of exclusionary boundaries enclosing daily-hire laborers in the process of the 'production' of Kamagasaki as Yoseba.The mass media began to represent Sanno-cho as a "violence zone" focusing on the prostitution problem after the enforcement of the Anti-Prostitution Law in 1958. In this context, the mass media represented adjoining Kamagasaki as a slum, focusing on the problem of poor families. Nishinari became a place name to signify these areas as a whole. When the "first riot" took place in this context in August 1961, these representations were repeated and the "first riot" was reported as "violence".Moreover, the process of constructing place intensified the confrontation between daily-hire laborers and their neighbors. The neighbors also felt discrimination because these place names and their representations were extensively circulated by the media reports about the "riot" and the resultant policies. Therefore, it became necessary to stop using these symbols, and a new place name, Airin, was created and given to the place that was formerly called Nishinari or Kamagasaki.After 1960, institutional practices followed such discursive transformation. In the first stage (1960-1961), the objective of policy was to improve the living conditions of poor families. In the second stage (1961-1966), it became the objective of policy to distribute families and to institutionalize and to supervise the daily-hire labor market, because it was necessary to cope with the "riot". In the third stage after 1966, when Kamagasaki was specified as the Airin District, comprehensive planning to make Kamagasaki a supply ground of the daily-hire labor force was instituted. At this stage, the state promoted the policies and assessed the existence of day laborers positively from the viewpoint of the necessity to secure a labor force. The Airin General Center and The City Rehabilitation Clinic were embodied as the objective of such policies.Meanwhile, the cheap inns, as the habitation space of the daily-hire laborers, were renewed in the 1960s, in expectation of an inflow of the labor force which was needed to build the site of the International Exposition in 1970. That increased the capacity of the inns and narrowed their size. On the other hand, day payment apartments and squatter huts decreased in number at that time and, therefore, the habitation space for families was reduced. This change of space transformed Kamagasaki into a space exclusively for single daily-hire laborers.The boundaries of the Airin District reflected the representation of Kamagasaki created by discursive formation. It became institutionalized, which reproduced severe exploitation and poverty by being defined as a supply ground of the daily-hire labor force. This spatial boundary construction reproduced itself socially between the daily-hire laborers and their neighbors.人文地理学会, 2003年, 人文地理, 55(2) (2), 121 - 143
- 2022年11月15日, 都市計画 = City planning review / 日本都市計画学会 編, 71(6) (6), 64 - 67, 日本語ジェントリフィケーションから報復都市へ : ニール・スミスによる批判的都市論の射程—From Gentrification to Revanchist City : Neil Smith's Perspective on Critical Urban Theory—特集 都市計画古典再論 ; 古典を越えて : 後期近代の都市計画論
- 2022年11月, 現代思想, 50(13) (13), 253 - 262, 日本語流民のカルトグラフィ : 筑豊から釜ヶ崎への回路—総特集 森崎和江 : 1927-2022
- 龍谷大学, 2008年03月, 龍谷大学経済学論集, 47(5) (5), 29 - 46, 日本語都市のイマジニアリングと野宿生活者の排除 : 1980年代以降の大阪を事例として(民際学特集)
- 2005年03月10日, 日本地理学会発表要旨集 = Proceedings of the General Meeting of the Association of Japanese Geographers, (67) (67), 191 - 191, 日本語ジェントリフィケーションをめぐる欧米都市論の争点
- 同志社コリア研究センター, 2023年03月, 日本語, ISBN: 9784907634049翻訳と連帯 : ある寄せ場労働者の「抗日パルチザン参加者たちの回想記」翻訳の軌跡
- 共著, 原口剛「「海の都市計画――ロジスティクスとインフラをめぐって」153~181頁, 以文社, 2021年04月惑星都市理論
- その他, 共和国, 2018年06月, 日本語船本洲治『[新版]黙って野たれ死ぬな』一般書・啓蒙書
- 単著, 洛北出版, 2016年09月, 日本語『叫びの都市―寄せ場、釜ヶ崎、流動的下層労働者』学術書
- 共著, 原口剛「貧富の戦争がはじまる――オリンピックとジェントリフィケーションをめぐって」(15~39頁), 航思社, 2016年06月反東京オリンピック宣言
- 単訳, ミネルヴァ書房, 2014年05月ジェントリフィケーションと報復都市――新たなる都市のフロンティア
- East Asian Regional Conference in Alternative Geography (EARCAG) 9the Meeting, 2018年12月, 英語, Daegu EXCO (Korea), 国際会議State-led Gentrification and Revanchism in the Olympic City: The case study of Tokyo口頭発表(一般)
- 人文地理学会第124回地理思想研究部会, 2017年03月, 日本語, 同志社大学大阪サテライト・キャンパス(大阪市), 国内会議スマートなるものへの問いと抗い―寄せ場研究の視座から口頭発表(一般)
- 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 基盤研究(A), 神戸大学, 2023年04月01日 - 2028年03月31日財産権論の再構成に関する学際的研究―シェア・ライセンス・コモンズ
- 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 挑戦的研究(萌芽), 明治大学, 2024年06月28日 - 2027年03月31日「居場所」と「逃げ場」に関する地理学的研究ー場所論の再構築に向けてー
- 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 基盤研究(B), 大阪公立大学, 2022年04月01日 - 2027年03月31日釜ケ崎史料アーカイブの実装による都市下層の歴史社会学大阪市西成区の旧字・釜ヶ崎は社会問題の集積点として近現代を通じて断続的に調査研究の対象とされてきた。しかし今、地域では厖大な未公表資料が忘却・劣化・損失・散逸の深刻な危機にある。研究グループでは先行の課題以来そうした資料収集につとめ、釜ケ崎史料アーカイブとして目録化に着手し、公表可能なものを精選の上で復刻資料集を編纂してきた。 既刊の戦後編前期はその大きな成果であるが、そこに収録できたのは収集資料の一部に過ぎない。なお写真フィルム等現物をふくむ断片的な資料の扱い、権利処理等の法的・技術的または運用上の課題があり、公表には倫理的な配慮が求められた。また究途上発見された大阪社会学研究会の調査一次資料からは、従来の時代区分および社会病理学の再考が迫られている。こうした見通しの上に目下、戦後編後期の編纂にあたっている。 具体的には昨年度、戦後のバラック調査にはじまる事例の詳細を土田英雄文書に読み解き、社会病理学に対する批判としての「寄り場」研究に照らし1920年代の大阪市社会部調査以来の「都市下層」研究史に再定位した。また1970年代以降の定点観測写真を1950年代以降の記録写真に対照し、地域の通時的な空間的変遷を辿りつつある。さらに同年代に釜ヶ崎入りした無党派活動家の知られざる交流を個人文書等に見出し全港湾建設支部、大阪総評資料との対比をふまえ労働者・活動家への聴きとり調査を重ねてきた。加えて今年度からは西成労働福祉センター60年誌の編纂に協力し、大阪府労働部西成分室の設置(1961年)前後の分析に注力している。
- 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 基盤研究(B), 大阪公立大学, 2022年04月01日 - 2027年03月31日釜ケ崎史料アーカイブの実装による都市下層の歴史社会学
- 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 挑戦的研究(萌芽), 奈良女子大学, 2022年06月30日 - 2025年03月31日コロナ禍において困窮する人びと-地域社会および地域労働市場の分析を通じて-コロナ禍では、経済的・社会的に弱い立場の人々がさらなる打撃を受けた。そうした人々の「声」を掬い上げ、定量的データの分析からはみえにくい地域の実情や課題をあぶり出すことを、本研究はめざしている。 本年度の研究成果は以下のとおり。吉田:前年度に引き続き、都道府県の労働局が公表する統計情報の中で、求人・求職や労働市場の動向に関わるデータを把握した。また、奈良県内のハローワークで聞き取りおよび資料収集を行い、「コロナ解雇」の実態を把握した。原口:前年度に続き、東京山谷で野宿生活を続ける人々が、コロナ禍でさらなる窮地に追い込まれた実態を把握するため、支援団体への聞き取りを実施した。久木元:前年度より継続してきたコロナ禍の保育および子育て世帯への影響に関するデータ分析結果を、日本語論文および英語論文で発表した。また、コロナ禍以前も含む都市空間における子育て支援や保育環境について既存研究と近年の動向・課題を整理した論文が、都市地理学に関する書籍に掲載された。松岡:公的機関が公開する障がい者雇用関連の情報を収集し、主として北海道内の事業所における障がい者雇用の事業内容や特徴を整理した。須崎:文献収集に加え、台湾台北市のゲイバー・レズビアンバー経営者に聞き取り調査を行なって、新型コロナ感染拡大期から現在までの経営状況・戦略に関するデータを入手した。小谷:これまで収集した資料(国連のコロナ対応、日本およびブラジルの出入国管理・国内の外出制限に関する新聞記事等)を整理し、日本とブラジルの間の移動規制が両国の日系人労働者の移動に与えた影響を検討した。ブラジルに関する調査結果をもとに国内派遣会社に調査を行う予定であったが、アルゼンチン・パラグアイ系の労働者斡旋業者から調査の承諾を得ることができたため、ブラジル以外の南米諸国の斡旋状況についても資料収集や斡旋業関係者への聞き取りを行った。
- 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 基盤研究(C), 神戸大学, 2021年04月01日 - 2025年03月31日コンテナ化と都市変容に関する比較研究―ロジスティクス概念を中心として本研究では、ロジスティクス概念を把握するとともに、日本の都市における研究可能性を模索する。具体的には、第一に、神戸港を中心的な研究対象とし、かつ沖縄の那覇港や北九州の門司港を対象とした事例研究を通じて、コンテナ化の進展過程や、それに伴う空間編成や労働変容の過程を明らかにする。第二に、労働者や生活者による対抗的な空間(カウンター・ロジスティクス)の構築過程とその意義を明らかにする。具体的には、コンテナ化に対抗すべく展開した港湾労働運動、1970年代以降に寄せ場地域で展開した日雇労働運動、現代の野宿者運動などを取り上げ、それらが有する空間論的意義を捉え返す。第三に、ジェントリフィケーションやウォーターフロントに対する批判的研究、人工島開発をめぐる議論、監視社会論や都市統治論など、関連する議論を幅広くレビューし、ロジスティクス概念を基盤とした都市インフラ論の理論的知見を提示する。 以上の研究目的に向け、本年度は、①コンテナ化の過程についての比較調査、②カウンター・ロジスティクスとしての労働史調査、③ロジスティクス概念をベースとした都市インフラ論についての考察、の三点を課題として研究を遂行した。ただし、COVID-19の感染拡大により移動が大幅に制限されたことから、当初予定していた調査研究の作業を計画どおり遂行することはできなかった。とくに、長期の調査出張を必要とする①コンテナ化の過程についての比較調査および②カウンター・ロジスティクスとしての労働史調査については、多くの作業を次年度以降に繰り越すこととなった。そのかわり本年度は、主として③ロジスティクス概念をベースとした都市インフラ論についての考察にかかわる研究を中心的に行なった。
- 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 基盤研究(C), 大阪市立大学, 2019年04月01日 - 2023年03月31日釜ヶ崎史料を基点とした地域情報アーカイブの実践的研究大阪市西成区の旧字・釜ヶ崎は、近現代を通じて「社会問題」の集積点として耳目を引きつけてきた。それゆえ社会病理学および労働経済学から、その変革を企てた解放社会学に至るまで、先行研究の蓄積には豊富なものがある。しかし釜ヶ崎では今あいりん総合センターの建て替え計画に象徴されるように「寄せ場」空間としての転換期をむかえる一方、地域では厖大な未公表史料群が忘却・劣化・損失・散逸の危機に瀕していた。 これまでに収集した未公表資料群をもとに近現代資料集『昭和期の都市労働者:大阪・釜ヶ崎・日雇』の監修に注力し、戦後編前期の配本を実現できた。これは既刊の戦前期編につづく戦後期の行政文書に加えて、大阪万博と前後して運動史上の画期をなした全港湾建設支部西成分会結成(1969年)から釜共闘・現闘委(1972年)結成期に至る期間のうち公表可能な一次資料を精選したものである。 元研究者・活動家からは引き続き貴重な資料が多数寄せられており、既往研究では未消化の史料批判を基礎としてこれまでの「寄せ場」研究史をとらえなおし、かつて期待された学問的「地殻変動」(八木正)に学史上正当な再評価を加えるべく、戦後編後期の続刊を予定している。これと併行して「寄せ場」研究を通時的な「都市下層」研究史に再定位することで、複眼的な歴史社会学を構想した後継の研究課題に交付内定をいただいたので、学会報告を区切りとしてこれを展開していく。
- 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 基盤研究(B), 大阪府立大学, 2017年04月01日 - 2020年03月31日場所・物質・人の関係性に注目した知の形成に関する地理学史研究近年の地理学史研究の潮流を鑑み、社会的経験および個人的経験と地理学知の形成・流通・実践について、アカデミズムの枠に捉われない広範な視点から検討した。その際、文化 ・社会・政治・歴史地理学の理論や方法論に関する議論をふまえ、場所・物質・身体が関係しあうプロセスに重点をおいた地理思想の考察について重点的に行った。また、本研究はそれ自体、過去から未来へと続く「地理思想」の流れの中に位置づけられものである。新たな成果を公開するだけでなく、1978年にはじまり本研究へと継続している地理思想史に関する研究成果についてオンラインアクセスを可能とするなど、地理学史研究のための基盤整備にも努めた。
- 学術研究助成基金助成金/若手研究(B), 2016年04月 - 2020年03月, 研究代表者競争的資金
- 学術研究助成基金助成金/若手研究(B), 2013年04月 - 2016年03月, 研究代表者競争的資金
- 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 新学術領域研究(研究課題提案型), 大阪市立大学, 2009年 - 2011年ITACOによる新しい地誌学の創生と地域の人縁生成に関する試行研究国内外の大都市から限界集落に至るまで、条件不利や社会的排除を蒙りやすい人々に対象を絞り、現場に根ざしたフィールドワークを実践した。埋め込まれて語られないような、意味づけられることのない地理的情報を徹底的に掘り起こし記述することで、地域の系譜や記憶を抽出する実験的な試みを多面的に展開した。今後の地域のあるべき将来像や短期的な施策の展開に、地誌という形で地理学的に貢献できることが明らかにされた。
- 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 特別研究員奨励費, 神戸大学, 2008年 - 2010年都市日雇労働市場の動態と社会-空間的排除のメカニズムに関する地理学的研究平成22年度は、以下の二点について、重点的に調査研究を行なった。第一に、1970年代以降活発になる日雇労働運動が、どのように展開し、また労働市場の性質をどのように改変したのか、という点を解明することを目的とする調査研究を行なった。その成果を「労働運動による空間の差異化の過程-1960-70年代の「寄せ場」釜ヶ崎における日雇労働運動を事例として」として論文投稿した。この論文は平成21年3月7日に受理され、第63巻第3号もしくは第4号に掲載予定である。労働運動研究を対象とした地理学的研究は数少ないことから、この研究は地理学の進展におおいに寄与するものである。第二に、現在のまちづくり運動に対する評価やかかわりについて聞き取り、データ収集を行なった。この調査研究で得られた知見を、人文地理学会第271回例会(2010年12月4日、於大阪市立大学都市研究プラザ・西成プラザ)において「対話から地図を生み出す-地理学的アプローチによる文化創造の実践」と題して報告を行ない、また、日本地理学会春季学術大会(2011年3月30日、於明治大学)において「地名の再命名-インナーシティの衰退とアイデンティティ・ポリティクス」として報告を行なった。これらの成果は、社会-空間的排除に対する地理学からの実践的研究として高い評価を得ている。また、これまでの研究成果を「寄せ場「釜ヶ崎」の生産過程にみる空間の政治・「場所の構築」と「制度的実践」の視点から」(青木秀男編『ホームレス・スタディーズ・排除と包摂のリアリティ』ミネルヴァ書房、2010、63-106頁)としてまとめ、公刊した。これは、これまでの研究成果を社会的に還元するという意義を有している。