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市澤 哲
大学院人文学研究科 社会動態専攻
教授

研究者基本情報

■ 学位
  • 博士(文学), 神戸大学
■ 研究キーワード
  • 日本史学
■ 研究分野
  • 人文・社会 / 日本史 / 中世史

研究活動情報

■ 論文
  • 和泉国和田荘相論と金剛寺院主―中世裁判の一断章―
    市沢 哲
    2022年10月, 『鎌倉遺文研究』, (50) (50)

  • 播磨国明石郡平野荘の悪党
    市沢 哲
    2021年03月, 『明石の歴史』, (4) (4), 日本語
    [招待有り]

  • 公共圏における歴史学/公共圏をつくり出す歴史学
    市沢 哲
    2019年01月, 『歴史科学』, (253) (253)
    [招待有り]

  • 戦場における情報戦略とは―城攻めの空間におけるコミュニケーションと情報戦略
    市沢 哲
    2018年10月, 『歴史の見方・考え方―大学で学ぶ「考える」歴史』, 日本語

  • 十四世紀内乱を考えるために―『太平記』再読
    市沢 哲
    2018年10月, 『南北朝「内乱」』
    [招待有り]
    論文集(書籍)内論文

  • 一四世紀の内乱と赤松氏の台頭
    市澤 哲
    大手前大学史学研究所, 2017年03月, 『大手前大学史学研究所紀要』, (12) (12), 3 - 12, 日本語
    [招待有り]
    研究論文(大学,研究機関等紀要)

  • 雑掌・悪党・両使ー摂津国長洲荘の場合-
    市澤 哲
    日本史研究会, 2016年10月, 『日本史研究』, (650) (650), 1-23 - 23, 日本語
    [査読有り]
    研究論文(学術雑誌)

  • 歴史資料をめぐる「よそ者」と「当事者」-専門家的知性と市民的知性
    市沢 哲
    2015年11月, 『過去を伝える、今を遺す』, 日本語
    [招待有り]
    研究論文(学術雑誌)

  • 地域資料学を構想する糸口-場・主体・よそ者・当事者
    市沢 哲
    2014年01月, 『歴史文化を大災害から守る』
    [招待有り]

  • 地域歴史遺産と地域連携活動
    市沢 哲
    2013年07月, 『「地域歴史遺産」の可能性』

  • 鎌倉幕府滅亡から南北朝内乱期における赤松氏-その行動の特色について-
    市沢 哲
    2012年10月, 『赤松円心・則祐』

  • 花園天皇日記-ミネルヴァの梟は夜飛び立つのか
    市沢 哲
    2011年11月, 『日記で読む日本中世』
    [招待有り]

  • 建武・暦応の西摂津・北播磨合戦
    市澤 哲
    2011年03月, 『新兵庫の歴史』, 3, pp.13-28, 日本語
    [招待有り]
    研究論文(学術雑誌)

  • 鎌倉幕府の滅亡・南北朝内乱期の神戸
    市澤 哲
    2010年04月, 『新修神戸市史』歴史編II, pp501-.561, 日本語
    研究論文(学術雑誌)

  • 赤松氏と城山城-築城から嘉吉の乱まで-
    市澤 哲
    2010年03月, 『仏教文学』, 34, pp.112- 122, 日本語
    [査読有り]
    研究論文(学術雑誌)

  • 花園天皇日記にみる学問のはたらき-鎌倉末期の「古典知」を考えるために
    市澤 哲
    物語研究会, 2010年03月, 『物語研究』, 10, pp.84-95(10) (10), 84 - 95, 日本語
    [査読有り]
    研究論文(学術雑誌)

  • 一四世紀政治史の成果と課題-社会構造の転換期としての一四世紀をどうとらえるか
    市澤 哲
    日本史研究会, 2007年08月, 『日本史研究』, (540) (540), 3 - 28, 日本語
    [査読有り]
    研究論文(学術雑誌)

  • 南北朝内乱からみた西摂津・東播磨の平氏勢力圏
    市沢 哲
    2007年06月, 『地域社会から見た「源平合戦」』
    [招待有り]

  • 中世王権論のなかの足利義満
    市沢 哲
    歴史科学協議会, 2004年05月, 『歴史評論』, (694) (694), 40 - 51, 日本語
    [招待有り]
    研究論文(学術雑誌)

  • 映画『もののけ姫』分析-歴史ファンタジーに歴史学はどう関わるか-
    市澤 哲
    神戸大学文学部国語国文学会, 2004年03月, 『国文論叢』, (34) (34), 94 - 109, 日本語
    [査読有り]
    研究論文(学術雑誌)

  • 文和の政局
    市澤 哲
    岩波書店, 2003年11月, 『文学』, 4(6) (6), 47 - 59, 日本語
    [招待有り]
    研究論文(学術雑誌)

  • 鎌倉後期の河内国金剛寺--仏智房阿闍梨清弘の登場と退場
    市澤 哲
    大阪歴史学会, 2003年11月, 『ヒストリア』, (187) (187), 1 - 26, 日本語
    [査読有り]
    研究論文(学術雑誌)

  • 14世紀の内乱(南北朝内乱)における国家(中央)と地域
    市沢 哲
    2002年12月, 『歴史表象としての東アジアー歴史研究と歴史教育との対話』
    [招待有り]

  • 『難太平記』二つの歴史的射程
    市澤 哲
    岩波書店, 2002年07月, 『文学』, 3(4) (4), 47 - 59, 日本語
    [招待有り]
    研究論文(学術雑誌)

  • 『梅松論』における建武三年足利尊氏西走の位置
    市沢 哲
    2001年05月, 『神戸大学史学年報』, (19) (19)
    [招待有り]

  • 「永仁五年仮殿遷宮記」紙背文書の世界
    市沢 哲
    2000年03月, 『神戸大学文学部50周年記念論集』

  • 11世紀中葉における東大寺領越後国石井荘に関する一考察
    市沢 哲
    1999年03月, 『上越市史研究』, (4) (4)

  • 南北朝内乱期における天皇と諸勢力
    市沢 哲
    1996年09月, 『歴史学研究』, (688) (688)
    [査読有り]

  • 鎌倉後期公家政権の構造と展開-建武新政への一展望ー
    市沢 哲
    1992年03月, 『日本史研究』, (355) (355)
    [招待有り]

  • 後醍醐政権とはいかなる権力か
    市沢 哲
    1991年02月, 『争点 日本の歴史』, 4
    [招待有り]

  • 鎌倉後期公家政権の構造と「治天の君」
    市沢 哲
    1988年10月, 『日本史研究』, (314) (314)
    [査読有り]

  • 院御願寺の造営に関する一考察
    市沢 哲
    1987年04月, 『神戸大学史学年報』, (2) (2)

  • 公家徳政の成立と展開
    市沢 哲
    1985年12月, 『ヒストリア』, (109) (109)
    [招待有り]

■ MISC
  • 歴史資料保存活動と「専門知」
    市沢 哲
    2024年04月, 『地域歴史文化のまもりかた 災害時の救済方法とその考え方』

  • 歴史ー市民として/研究者としてどう向き合うのか
    市沢 哲
    2023年11月, 『応用哲学』, 204 - 220
    [招待有り]

  • 中世の武士の「家」意識ー『難太平記』を読む
    市沢 哲
    2023年10月, 『歴史の見方・考え方2』, 104 - 119
    [招待有り]

  • 中世 総論(2020年の歴史学界 回顧と展望)
    市沢 哲
    2021年05月, 『史学雑誌』, 130(5) (5)
    [招待有り]

  • 歴史研究の隣人たち インタビューシリーズ第1回 趣旨説明
    市沢 哲
    2019年12月, 『LINK』, (11) (11)

  • 連携事業の意味-成功例と失敗例から-
    市沢 哲
    2018年01月, 『地域歴史遺産と現代社会』

  • 2017年度歴史学研究会大会 中世史部会報告批判
    市沢 哲
    2017年12月, 『歴史学研究』, (965) (965)

  • 発表要旨 公共歴史学の射程
    市沢 哲
    2017年03月, 『21世紀倫理創生研究』, (10) (10)

  • このインタビューについて (<特集2>歴史学は地域とどう向き合うか : 工藤敬一氏インタビュー)
    市沢 哲
    神戸大学, 2013年11月30日, 『Link』, 5, 37 - 37, 日本語

  • 小特集にあたって〔小特集 : 宝珠院文書から見る中世後期の尼崎〕
    市沢 哲
    尼崎市立地域研究史料館, 2013年11月27日, 『地域史研究 』: 尼崎市史研究紀要, 113, 2 - 4, 日本語

  • 南北朝内乱と祇園社
    市沢 哲
    2011年03月, 『京都女子大学宗教・文化研究所紀要』, (24) (24)

  • 「よそ者」の効用-「参加型開発論」に学ぶ「自立」と「当事者性」
    市沢 哲
    2010年08月, 『LINK』, (2) (2)

  • LINKによせて
    市沢 哲
    2009年08月, 『LINK』, (1) (1)

  • 『太平記』のなかの足利尊氏
    市沢 哲
    2008年10月, 『足利尊氏のすべて』
    [招待有り]

  • 私のこの一冊 戸田芳実著『中右記ー躍動する院政期の群像』
    市沢 哲
    2008年04月, 『歴史と神戸』, 47(2) (2)
    [招待有り]

■ 書籍等出版物
  • 新三木市史 資料編古代・中世
    市沢 哲
    分担執筆, 2023年03月

  • たどる/調べる 尼崎の歴史 上巻
    市沢 哲
    共編者(共編著者), 2016年10月

  • 大阪狭山市史 第1巻
    市沢 哲
    分担執筆, 大阪狭山市, 2014年03月, 日本語
    一般書・啓蒙書

  • 新発見 日本の歴史 第22号
    市沢 哲
    編者(編著者), 2013年12月

  • 日本中世公家政治史の研究
    市沢 哲
    単著, 校倉書房, 2011年09月, 日本語, ISBN: 9784751743300
    学術書

  • 新修神戸市史 歴史編Ⅱ
    市沢 哲
    分担執筆, 2010年04月

  • 『太平記』を読む
    市沢 哲
    編者(編著者), 『太平記』とその時代, 2008年10月

  • 加西市史 第1巻 本文編1 古代・中世
    市沢 哲
    分担執筆, 2008年03月

  • 『本庄村史』歴史編
    市沢 哲
    分担執筆, 本庄村史編纂委員会, 2008年02月, 日本語
    一般書・啓蒙書

  • 図説 尼崎の歴史 上巻
    市沢 哲
    共編者(共編著者), 2007年01月

  • 加西市史 第八巻
    市沢 哲
    分担執筆, 加西市, 2006年03月, 日本語
    学術書

  • 播磨新宮町史
    市沢 哲
    分担執筆, 播磨新宮町, 2005年09月, 日本語
    一般書・啓蒙書

  • 上越市史 通史編1
    市沢 哲
    分担執筆, 2004年12月

  • 上越市史 資料編3
    市沢 哲
    分担執筆, 2003年03月

  • 大阪狭山市史 第2巻
    市沢 哲
    分担執筆, 大阪狭山市, 2003年03月, 日本語
    一般書・啓蒙書

  • 岸和田市史 第2巻
    市沢 哲
    分担執筆, 1996年03月

■ 所属学協会
  • 大阪歴史学会

  • 歴史科学協議会

  • 歴史学研究会

  • 日本史研究会

■ 共同研究・競争的資金等の研究課題
  • 災害文化を内包する地域の記憶継承に資する地域歴史資料学と地域形成史の構築
    奥村 弘, 古市 晃, 上田長生, 今津勝紀, 市澤哲, 三村昌司, 胡光, 小野塚航一, 添田 仁, 天野真志, 松下正和, 蝦名裕一, 阿部浩一, 吉川圭太, 川内淳史
    日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 基盤研究(A), 神戸大学, 2025年04月 - 2030年03月

  • 地域歴史資料学を機軸とした災害列島における地域存続のための地域歴史文化の創成
    奥村 弘, 松下 正和, 阿部 浩一, 天野 真志, 日高 真吾, 市澤 哲, 後藤 真, 佐藤 大介, 白井 哲哉, 佐々木 和子, 今津 勝紀, 矢田 俊文, 胡 光, 三村 昌司
    日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 特別推進研究, 神戸大学, 2019年04月23日 - 2024年03月31日
    当初計画の方針「災害時の地域歴史資料学研究を基礎とした地域歴史文化創成の基盤整備」に基づき、研究課題の整理や資料保全関連データの収集を行い、各研究領域による研究を進める他、2019年東日本台風における被災資料保全に関する実践的研究を進めた。 2019年6月から特命助教2名を任用して神戸大コアグループの研究体制を構築し、研究グループ全体の研究体制を整備した。8月には科研グループ最初の全体研究会を開催した。9月には第1回地域歴史資料学研究会を開催し、地域歴史資料継承をめぐる課題について整理した。2018年成立の改正文化財保護法を受け、2019年7~9月に兵庫県文化遺産防災研修会を行い、大学・自治体が連携した歴史資料防災の手法に関して研究を進めた。 2019年10月にブリュッセルで国際シンポジウムを行い、地域歴史資料保全活動の意義や、地域歴史資料データインフラ構築について研究代表者・分担者が報告した。文化財等保全のための国際的共同事業について討議し、新たな国際的研究プラットフォームの構築を準備した。 研究計画に従い2020年1・2月にはキックオフフォーラムおよび阪神・淡路大震災フィールドワークを開催した。阪神・淡路大震災以降培われた地域歴史資料学をめぐる研究状況を報告し、現地研究会ではフォーラムの成果を総括した。地域住民を核とする地域歴史資料継承の基盤となる地域歴史資料データインフラ「khirin C」については、システムを構築できた。 2019年10月には東日本台風が発災した。甚大な被害を受けた東日本各地において、水損資料保全活動にかかる地域住民や各地資料ネットとの連携に基づいた実践的研究を深化させた。 A班「地域歴史資料継承領域」、B班「地域歴史資料インフラ構築領域」、C班「災害文化を内包した地域社会形成史研究領域」の各領域では研究会を開催し、実践的・理論的研究を進めた。

  • 日本中世の地域秩序および地域政治史の展開に関する研究-播磨国を中心に-
    市澤 哲
    日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 基盤研究(C), 神戸大学, 2020年04月01日 - 2023年03月31日
    2020年度は現地で登用された荘官・雑掌が広域に結合し、荘務を介して悪党化していくプロセスと、かかる結合を持つ悪党が流通構造の転換の中で姿を消していく様相について研究を進めた。その成果を踏まえて2021年度は、現地荘官に加えて、荘園領主側から派遣された荘官・雑掌や地頭を視野に入れ、東播磨地域の地域政治史の検討を進めた。具体的には九条家領の久留美荘、前年度に引き続き東大寺領大部荘に関する史料を中心に研究を進めた。後者については、九条家によって「膝下」的な荘園として位置づけられ、京都から派遣された雑掌が地頭の支配に対して強力に抵抗している状況が見て取れた。また、一方の地頭も六波羅奉行人や探題被管人等の姿が色濃く見られ、地域社会と京都の政治史の接点として同荘の状況を見ていく必要があることが明らかになった。 さらに、東播磨地域の政治史を理解する上で重要な論点となる交通体系についても検討を加えた。具体的には南北朝内乱期の軍忠状を分析し、東播磨の山間を走る基幹的な道である湯山街道と海港明石を結ぶ南北交通の重要性について、古代史の研究を参照にしつつ検討した。また、北側から「明石城」を攻撃するルートと、近年の明石津周辺の発掘調査、土壌分析に基づく古地形調査の結果を重ね合わせて、中世の明石津、「明石城」の位置について検討し、明石川の西側に拡がった潟の周辺部に中世の明石津の主だった施設が配置されていたと推測した。その成果については、神戸市埋蔵文化財センターの企画展「福原京の考古学」の関連講演会において「福原京と西摂津・東播磨地域」と題して一部を報告するとともに、『明石の歴史』第5号に「島津忠兼軍忠状」の解説として掲載した。

  • 河内国金剛寺文書に基づく中世地域社会史の研究
    川合 康, 市澤 哲, 高橋 典幸, 下村 周太郎, 栗山 圭子
    日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 基盤研究(C), 大阪大学, 2019年04月01日 - 2023年03月31日
    本研究は、河内国金剛寺に伝わる膨大な中世古文書を精査することを通して、Ⅰ平安時代末期~鎌倉時代中期、Ⅱ鎌倉時代後期~南北朝内乱期前半、Ⅲ南北朝内乱期後半~戦国時代、Ⅳ寺内法と武家権力、Ⅴ金剛寺院主職と貴族社会という観点から、寺内・地域社会の実態と中央権力との関係を明らかにするものである。 3年目の令和3年度も、2度にわたり中世の一紙文書の調査・撮影を行った。9月8日、金剛寺客殿で事前調査を行い、『大日本古文書』所収文書が収められた「長の3」の木箱や、「近世文書類のうち旧第七箱より移す」と書かれた中性紙箱のなかから、中世文書を探し出したうえで、9月11・12日にそれらの文書の調査・撮影を進めた。また、中近世の金剛寺ゆかりの人名が記された「金剛寺結縁過去帳」の撮影を行い、調査・撮影した文書数は93点、撮影画像数は178カットにのぼった。11月24日の事前調査では、京都国立博物館の『社寺調査報告30 金剛寺』に基づいて、未調査のままになっている中世文書の所在を割り出し、11月27・28日、種々の木箱や中性紙箱(「37-2」「44」「39-2」「33-1」)に入っていた中世文書の調査・撮影を進めた。文書数は105点、撮影画像数は171カットに及び、これらのうち約70点は、『大日本古文書』『河内長野市史』に収録されていない新出史料である。撮影した文書は「金剛寺文書撮影目録」に記録し、目録内容を更新した。 また、5月8日・1月10日・3月6日にはオンライン、9月11日・11月27日には河内長野荘において金剛寺文書研究会を開催し、永野弘明氏(研究協力者)・永山愛氏(研究協力者)・市沢哲氏(研究分担者)らが報告を行い、鎌倉時代の金剛寺をめぐる相論などについて理解を深めた。 令和3年度に撮影を行った198点のデジタル画像データについても、河内長野市立図書館において公開を始めている。

  • 奥村 弘
    科学研究費補助金/基盤研究(A), 2014年04月 - 2019年05月
    競争的資金

  • 奥村 弘
    科学研究費補助金/基盤研究(S), 2014年04月 - 2019年03月
    競争的資金

  • 古代西摂・東播における地域編成の歴史的重層性-中央権力と畿内外縁部-
    高橋 明裕, 坂江 渉, 市澤 哲
    日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 基盤研究(C), 立命館大学, 2015年04月01日 - 2018年03月31日
    本研究は、摂津西部・播磨東部地域に現地調査を行い中央権力(ヤマト王権)と広域的地域権力が近畿周辺の地域をどのように編成したかを明らかにした。成果は次の5点である。(1)武庫川・加古川水系を結ぶ湯山街道の重要性。(2)加古川は播磨・但馬・丹波地域を結ぶ交通の要衝である。印南野に伝わるナビツマ伝承は王権の国土支配権を象徴する。(3)この地域を6‐7世紀に蘇我氏や上宮王家‐大伴氏が広域的に勢力を展開した。(4)加古川水系には摂関家領荘園と住吉社領荘園が集中し、明石郡には国衙領が分布する。この相違は平氏政権の播磨支配の結果である。(5)重要な地域的拠点は諸権力にとって共同的に機能した(歴史的重層性)。

  • 奥村 弘
    科学研究費補助金/基盤研究(S), 2009年
    競争的資金

  • 藤田 裕嗣
    科学研究費補助金/基盤研究(B), 2005年
    競争的資金

  • 鈴木 正幸
    科学研究費補助金/基盤研究(B), 2005年
    競争的資金

  • 14〜15世紀における畿内在地領主の政治的動向-和田家文書の分析を中心に-
    市澤 哲
    日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 基盤研究(C), 神戸大学, 2002年 - 2004年
    鎌倉後期から室町前期の研究は、近年公武それぞれの権力中枢の研究・公武関係史の研究と、自立性を強めつつある地域社会の研究に二極分解している観がある。かかる状況に対して本研究では、近年等閑視されている「在地領主」に焦点をあて、在地社会論と中央の政治史をリンクさせて理解する枠組みを、和田家文書の分析を中心に提示することを目標とした。 研究では、和田氏をはじめとする在地領主が結集する拠点である河内国金剛寺に注目し、寺院運営組織の変化を追い、その変化が金剛寺を取り巻く荘園領主、在地領主の動向と密接に関連していることを明らかにした。とりわけ、鎌倉末期以来南河内、それに接する和泉国の在地領主の世界で、競合と統合の動きが顕著になるという結論は、今後畿内在地領主制研究の一つの前提になると考える。同時に、このような在地側の動きに対し、金剛寺は鎌倉後期の段階ではその支配を受け入れようとしなかった「本寺」興福寺に自ら接近し、在地領主間競合が寺内に持ち込まれることにより起こる混乱に対処しようとしたことを明らかにした。この点は、当該期の地域社会と中央政治史を統合的にとらえる視点として、今後の研究に資するであろう。これに加えて、在地領主を編成する側の室町幕府の政治課題について、問題を整理した。 また、史料調査中に国立国文学研究資料館資料館所蔵の『徴古雑抄』のうちに播磨国国衙領の目録写本を発見した。若干の太田文をのぞき、一国規模で国衙領を書き上げた目録はほとんど残っておらず、本目録の史料的価値は高いと判断し、2年目の途中から本目録の分析を研究の中心に据えた。そして分析の結果、本目録は応永5年頃に伏見宮家の近辺で作成された、国衙領の別納を列記した目録であることを明らかにした。平行して行った伏見宮家の播磨国衙領支配の復元的研究とあわせ、研究成果を早期に公表し、本目録が今後の研究に利用されるよう図りたい。

  • 南北朝・室町期政治史の展開と天皇の政治的位置に関する研究
    市澤 哲
    日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 奨励研究(A), 1997年 - 1998年
    本年度は尊氏・義詮期の公武関係を中心に研究を行った。従来当該テーマの研究は、公武の訴訟管轄、意思伝達システムなどの制度史的考察が中心であった。近年、公家家督の認定者が義詮期に室町殿に移行することが指摘されているが、治天の君の権限が室町殿に吸収されていくという従来の図式をでるものではない。そこで本研究では公家社会の根幹にかかわる公家所領の没収・安堵、儀式の運営への公武のかかわり方を検証し、公武関係の枠組みを仮説的に示すことをめざした。 1. 公家所領の没収・安堵については、観応擾乱にともなう、不参公家の処分、回復の過程に注目した。まず南朝側の北朝貴族に対する厳しい処遇などの影響で、北朝貴族が北朝の治天の君を絶対視しなくなる傾向が見られること、かかる事態に対し、室町殿は旗幟不鮮明な北朝貴族の処分を実行したことを明らかにした。さらに室町殿による処分は、北朝の治天の君に諮られ、没収所領の返付については輪旨が発給されていることを指摘し、室町殿の行動は北朝の治天の君からの権限吸収ではなく、むしろその権威の維持をめざす行動と評価すべきであるとの仮説を示した。 2. 公家儀式の研究では、『太平記』末尾部に天皇の朝儀復興の意志と武家の支持によって開催されたと位置づけられている貞治6年中殿御会に注目し、天皇の楽器演奏、実際の開催過程の検討という二点から検討を加えた。その結果、御会が天皇が公式行事で笙を吹く最初の機会であり、朝儀の復活と同時に新しい朝儀の始まりをも意味した重要なイベントであったこと、さらに他の記録史料から御会は発案の段階から室町殿の意志が強くはたらいたことがよみとれた。以上の結果、室町殿は北朝の権威を確立し、その権威を独占することを基本的な方針としていたという、1の仮説を補強する見通しを得た。

  • 東アジアにおける歴史学と歴史教育に関する基礎的研究
    浅倉 有子, 市澤 哲, 下里 俊行, 河西 英通, 真野 俊和, 二谷 貞夫
    日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 基盤研究(A), 上越教育大学, 1995年 - 1997年
    平成9年度は、本研究の最終年度にあたるので、代表者・分担者ともに、それぞれの担当のテーマに関する研究を進めた。そのため各自の必要に応じた内外の資料・文献の収集や補充の調査を行う一方で、中国・ロシアで行ったアンケートや外国語文献の翻訳を進め、それらの分析や検討をおこなった。その過程で数度の研究会を持ち、それぞれの研究成果を報告し議論することで、研究成果の共有と深化をはかった。これらの成果は、本年度末に刊行する予定の研究成果報告書とともに、平性11年度に刊行を計画している、本研究のメンバー全員による論文集によって公開する予定である。 また本研究科の成果公開の一環として、平成9年9月に上越教育大学において本研究遂行の過程で指導・助言を受けた研究者を中心に、内外の研究者14名を招待して、国際シンポジウム「東アジア地域における新しい歴史表象をめざして-歴史研究と歴史教育との対話-」(平成9年度国際シンポジウム開催経費の交付による)を開催した。このシンポジウムでは、本研究のメンバーの内7名が研究成果の一部を報告し、1名がコーディネーターをつとめた。このシンポジウムについても、平成11年度に成果を刊行する予定である。 さらに本研究に関わるものとして平成9年度教育改善推進費(学長裁量経費)により、東京大学の小田部胤久氏ら4名の研究者を招いて研究会を開催し、指導・助言を得る機会を持った。

  • 南北朝・室町期における天皇権威と諸勢力
    市澤 哲
    日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 奨励研究(A), 上越教育大学, 1994年 - 1994年
    まず、〈研究実施計画部〉の(1)に基づいて、南朝側の皇子が地方に派遣された事例を収集した。その結果、関東において南朝軍の内部で自立的な軍事行動をとろうとする小山氏が、北畠親房に皇子の派遣を要求した顕著なように、独立性の高い有力武士が自立的な軍事行動を起こす際に、南朝皇子がその旗印として利用されたケースがあることが明かとなった。さらに、南朝皇子はそれ自身として即権威たりうるのではなく、小山氏が独自の軍事行動を放棄した時に皇子を足利側に引き渡そうとしたように、皇子をかつぐ武士の自立性が失われると、皇子の権威も失われた。以上の考察より、武士の自立性が天皇の権威を破壊するといった説や、南朝が天皇の権威を維持するため、天皇の分身として皇子を各地に送ったとする通説は、ともに事の判面しか見ておらず、皇子の派遣を要求した武士の行動からそれぞれ再検討する余地があることが明かとなった。 さらに、〈2〉については、南朝側とは対照的に、足利側は天皇や皇子を戦場に出さなかった点に注目した。その理由については十分な証明にはいたらなかったが、上述の経緯から、武士の自立性と天皇の権威の結合を防ぐために、足利氏は北朝を他の武士が手出しできない、不可侵な存在して維持する方針をとったと考えられる。そして、その最後のしあげが、〈3〉義満による皇位さん奪ではなかったか、と推測した。 以上考察より、(1)天皇家の分裂と全国的内乱が重なるという極めて特殊な歴史的状況の中で、天皇権威が「拡散」するという未曾有の事態が展開したこと、(2)かかる事態の収拾が室町幕府の重要な政治課題であり、この問題の解決の方法に沿って、幕府と天皇・朝廷との関係が作り上げられていったのではないか、という見通しを立てることができた。 なお、本研究成果の一部は、研究辞典、書評等で活用したが、根幹部分については次年度論文として公表する計画である。

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