田中 祐理子 | ![]() |
タナカ ユリコ | |
大学院国際文化学研究科 文化相関専攻 | |
准教授 | |
哲学関係 |
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橋本は昨年度に引き続きX線回折の分子科学研究への応用について検討し、初期のブラッグ父子らの研究からタンパク質など有機化合物の高分子構造決定の研究における視覚表現技法について調査した。ブラッグらとは対照的に、米国のポーリングは原子の大きさや原子間距離の推測値に基づき具体的な分子模型を活用して分子構造を突き止めた。ブラッグらとポーリングを比較しつつ、彼らの分子構造解明の研究と視覚表現技法について検討し、その研究成果を7月の化学史学会のシンポジウムで講演発表し、『化学史研究』の2021年3月号に発表した。そこではポーリングの研究過程における図像や模型工作の意義と効用、ポーリングとの画家ヘイワードとの協力関係に関する最近の研究などを紹介した。以上の研究とともに江戸時代の本草図譜について検討した。また近年の科学史研究における図像の利用についての研究文献を紹介する解説論文を『科学史研究』に出版した。 吉本氏は中世から近代初期にかけての錬金術の象徴的な図像、リバヴィウスの著作の各種実験装置の図像について検討し、近年の歴史研究を参照しつつ、それらの描かれ方、以前の文献で掲載図との関係などを分析した。またデカルトの著作に使われる図像についても検討し、それが後継者によって利用される様子を明らかにした。田中氏は原子の存在を実証しようとする試みの中で可視化の役割を追いかけ、特にペランの研究に注目してその内容と意義を分析した。河野氏は宇田川榕庵の著作における化学実験装置の図に注目し、そのヨーロッパの原典の図と比較検討した。そしてラヴォワジェらの著作に掲載される図が利用されていることを明らかにした。
本研究は、20世紀の科学史研究に多大な影響を与えた、ガストン・バシュラールからジョルジュ・カンギレムを経てミシェル・フーコーに至るフランスの科学思想史の系譜を精査するとともに、この系譜に連なる一連の科学史的業績をいわば叩き台にして、18-19世紀から現代に至る科学的知の歴史的な展開及び曲折を記述するにふさわしい新たな科学史叙述の可能性を探る試みである。「精神医学研究班」「生物学・医学研究班」「数学・統計学研究班」の三つのサブ・グループから成り、それぞれのサブ・グループが同時並行的に研究を進めつつ、研究会の場を通じて相互の成果を共有し、撚り合わせてゆくスタイルをとる。2020年度は、前年度まで緊密にタイアップしてきた京都大学人文科学研究所(人文研)における共同研究「フーコー研究──人文科学の再批判と新展開」(2020年3月に終了)の成果報告書(小泉義之・立木康介編『フーコー研究』岩波書店、2021年3月刊)に「精神医学研究班」から立木、久保田、「生物学・医学研究班」から田中、「数学・統計学研究班」から隠岐が、本プロジェクトを締めくくる論文を発表する一方、本プロジェクトそのものの企画として、人文研の上記共同研究に同じく乗り入れていたもうひとつの科学研究費プロジェクト「ミシェル・フーコー「コレージュ・ド・フランス講義」総体の理論的・思想史的研究」(基盤C、代表者:佐藤嘉幸、課題番号:18K00095)と共同の成果報告書(佐藤嘉幸・立木康介編『ミシェル・フーコー『コレージュ・ド・フランス講義』を読む』水声社、2021年4月刊)を編み、「精神医学研究班」から立木、久保田、「生物学・医学研究班」から田中がそれぞれの最終報告を、加えて、本プロジェクトの海外連携者であるエマニュエル・ドリール(マインツ大学/CAPHES)が最新成果を、発表した。
本研究計画では、科学技術医学の歴史における図像の利用に関して内外の研究を参照しつつ、主として17世紀以降の顕微鏡による観察研究と図像表現のあり方、17-19世紀の化学史における図像の使われ方、そしてカメラオブスクラや写真などの光学関連技術などについて研究した。学会でシンポジウムを開催したほか、顕微鏡観察研究をめぐる研究成果については『化学史研究』に論文を発表した。また2019年度から同様のテーマで引き続き共同研究を続けている。
本研究ではⅠ「現代科学史と現代哲学史の接点・起点としてのフランス・エピステモロジー」と、Ⅱ「哲学的「主体性」の動揺と同概念の再検討」に関わる資料収集と分析を行ない、これを基盤としてⅢ「カンギレム「生命の哲学」の全体像再構築」・Ⅳ「カンギレム哲学のラディカリズムとその反響」の研究を進めた。カンギレムのエピステモロジー研究と次世代への影響関係を精査しつつ、その背景としての20世紀科学研究と社会的受容の関係を探り、現代科学史・生活史・社会史の交錯を辿ることに努めた。その研究報告・議論の場を持ちながら、研究報告としての論文を発表した。さらに次年度以降、全体的な成果をまとめた書籍を刊行する。
日本で「現代思想」と呼ばれ、1960年代以来フランスを中心に展開されてきた構造主義・ポスト構造主義の思想潮流を、「政治」との関連で再定義した。現在、文化研究方法論や文献注釈の対象として受容されている「現代思想」は、我々の観点からすれば、マルクス主義(資本主義批判)・精神分析(主体の地位の再審)・哲学(上記二契機の可能的出会いの探究)という三つの軸の交点における、「政治とはなにか」という問いへの歴史的応答の試みと位置づけられる。また、その共通の試みが、冷戦終結とともに終わることなく、現代の政治観をなお大きく規定し続け、制御困難なグローバル市場下の現状で再浮上していることを理論的に明らかにした。
本研究は20世紀社会編成における「科学性」の意味と役割を問う準備的研究として計画された。本研究はまず、ウィリアム・ヒューエルを中心とする、19世紀ヨーロッパでの科学史・科学哲学の議論の興隆に関する史的資料を収集した。その上で、本研究は、特にそれらの科学史・科学哲学が「科学的客観性」に対して与えた新たな価値に注目しながら、それが19世紀から20世紀にかけての世紀転換期において、「人間性」という概念と「科学的客観性」という概念の間にいかなる相互作用をもたらしたかを歴史的に概観するよう努めた。
本研究においては(1)20世紀における「生物/無生物」概念についての思索を、哲学文献と医学(生物学文献のそれぞれについて集積し、両者の相互影響を考察する。(2)20世紀の哲学・医学的思考の原点を19世紀の思想史・医学史に探る、という二点を行った。結果として、19世紀科学言説に潜む保守性が保証した未来の科学研究の道筋と、哲学的想像力がラディカルに推し進めることとなった未来主義的思考との間の、逆説的な相互影響を発見した。
今年度は、研究計画に従いながら、前年度までにおこなった文献・資料収集および他の研究者との交流などの活動を作業の核を継続し、国内の大学・機関での資料調査・収集、その分析についても引き続いておこなった。そして、これらの資料の分析・整理に続くものとして、今年度は口頭による研究報告と論文の形での研究成果発表につとめた。昨年度から計画していたとおり、今年度は本計画の全体像をまとめた研究報告の完成と関係論文の作成を第一の作業とした。すなわち、(1)微生物学の成立前史、(2)19世紀微生物学成立の言説史的整理、(3)19世紀微生物学および病理学の言説分析による現代医学論、の三点についての研究発表である。とくに(1)に関連しては、17世紀オランダのアントニー・ファン・レーウェンフック、16世紀イタリアのジローラモ・フラカストーロについて、パラダイムの転換期を体現する重要な人物像として注目し、検討を進めた。また、(2)は19世紀フランスの学問制度および社会状況の文脈のなかに置きながら、ルネ・パストゥールの言説を分析することが中心的な作業となった。これらおよび(3)に関連した研究発表は今後も継続する予定である。
本研究では、主に人びとの生活そのものにおける1960年代の特性にその焦点をあて、そこにおける生活・意識の変容が蒙ったであろう様々の影響を、一方では科学技術の発展などとのある種物質的な関係、他方では大衆社会化や消費社会化などによるより抽象的な作用のうちに探究した。これらの多彩な観点からなされた研究は、本研究の分担者すべてに対して、そこで実際に同時代を経験しながら、この時代の息吹を伝える証言として、60年代にさまざまの学問領域を背景にしながら行われた数々の分析の重要性を知らしめることとなった。これは本研究の問題意識の中核に、ふたつの主題を形成するところとなった。すなわち、何よりもまず人びとの生活そのものを知ろうとすることと、そして同時にこの生活とそこで発展しつつあった諸科学-人文・社会諸科学を含む-との深部での相関関係を明らかにすることである。 上記の問題意識を持ちながら、研究代表者および分担者は各自の研究主題に基づき報告論文を作成した。以下にその表題を報告する。「《マクルーハン》とはなんであったか」(富永)、「『"ふたり"の60年代』に向けて」(斎藤)、「60年代と身体の未来」(田中)、「分裂病の60年代」(北垣)、「『沈黙の春』とサイボーグの60年代」(遠藤)、「牛乳神話の形成」(藤原)、「教育と人間の60年代」(前川)、「1960年代の『大学闘争』のもたらしたもの」(白鳥)、「《言葉と物》の60年代」(葛山)、「1960年代の日米繊維摩擦の歴史的意義」(籠谷)、「三島由紀夫自決・再考」(大澤)、「60年代日本精神誌」(山室)。
1.1989-2005年までの約15年における日本のゲノム研究プロジェクトについて、社会とのコミュニケーション、生命倫理への取り組み、異分野融合研究の発展などに注目し、それらの活動の歴史と課題を文献および関係者への聞き取りによって調査した。その結果、1)倫理的問題への取り組みや社会とのコミュニケーションに関しては活発な時期とそうでない時期があり、当初計画されたほどには発展させることができなかった、2)活動が活発な時期には、異なる分野を行き来してコーディネーターとして活動できる人材が配置されていた、などが明らかになった。 2.アジアのヒトゲノム関連の研究者(医学研究者、生命倫理学の研究者や政府関係者)を集めたワークショップ形式の会議を2003年9月に京都で開催し、アジア各国でのヒトゲノム研究の現状について情報交換を行った。国ごとに研究の規模は様々であるが、各国でヒトゲノム研究が広まりつつあること、その社会的議論も活発化していることが明らかになった。 3.2002-2004年度において、特定領域研究「ゲノム」4領域の研究事業として、ゲノム研究者と一般市民や非専門家との交流を目的とする「ゲノムひろば」を実施した。3年間で延べ9,700人の来場者が訪れ、1,300人の研究者が参加した。実践を通して行った調査研究からは、「ゲノムひろば」で用いた「研究者が街に出て、専門外の人々を対象に実物付き展示による研究発表を行う」という形態が、専門外の人との対話を通して研究者自身が研究の目的や意義を考える場として有効であること、かつ、研究者による非専門家への研究情報の発信やコミュニケーション(対話)のための方法として適していることが明らかになった。 4.ゲノムとゲノム研究の基礎知識を専門外の人々に知らせるためのインターネットのサイト「AT Genome Communication」(略称「あっとゲノム」)を制作した。